童謡

Nursery Rhymes

2020年/英語・日本語・福建語/シンガポール/11分/ジャパンプレミア

解説

シンガポール人の映画監督が、母方と父方、2人の祖母との思い出からインスピレーションを得て、片や英国、片や日本という異なる帝国主義の支配下で過ごした彼女たちの子供時代を想像する。

映画祭参加経歴/表彰

Singapore International Film Festival 2020

監督


マイケル・カム
シンガポールのニーアン・ポリテクニックで映画製作の大学院課程を修了し、現在は同校の映画プログラムで指導を行う。これまで多くの短編映画を製作し、ベルリン、ウプサラ、コーク、パームスプリングス、エンカウンターズ、クルタ・シネマなど、数多くの国際映画祭で上映。タンペレでの最優秀フィクション賞、ハンブルグでのARTE短編賞、シンガポールでの最優秀監督賞など、各映画祭で高い評価を得る。また、ciNE65のメンターや審査員、National YouthFilm Awardsの審査員も務める。

スタッフ&キャスト

監督/脚本 マイケル・カム
プロデュース マベリン・オウ
出演 ベニス・ン・スックウェン、ニキ・トウ、エイミー・テレーズ、アンドレバ・アナスタシア、リム・ホイ・ホン、リザキナ・ベノリカ、ウォン・フォン・ピン、チェン・イェン・ニー、エリック・クー・ヘンファット、ショーン・ガン・セイヤ、チョン・チウ、コエ・パイク・フーン、タン・ウィー・チョー、タン・ポーイ・リュー

上映スケジュール 9/16-9/20

Director’s Voice

1.映画制作をはじめたきっかけは?

私は若い頃、両親が数週間おきに私と弟を連れて行ってくれるハリウッド映画を楽しんでいました。しかし、インディ・ジョーンズやジェームズ・ボンドのような映画を作ることは私には不可能に思えました。成人しシンガポールの映画館チェーンでプロモーションエグゼクティブとして働いているとき、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の「Vive L’Amour(愛情萬歳)」、周防正行の「Shall We ダンス?」、クシシュトフ・キェシロフスキのトリコロール3部作などのワールドシネマや地元の映画製作者であるEricKhooの最初の長編映画「Meeポックマン」を紹介しました。これらの作品、特にシンガポール人が作った映画は、いつか自分も映画を作ることができるかもしれないという種を私に植え付けました。それで私は映画製作を勉強するために地元の工科大学に入学しました。

2.影響を受けた作品や監督は?

私はこの作品の他にも子供たちを巻き込んだ短編映画をたくさん作りました。私の短編映画のテーマは必ずしも健全ではなく、子供たちを単に純粋で無垢な存在として描写していません。いろいろな映画を観るのが好きですが、私が作る個人的な作品については、小津安二郎「生れてはみたけれど」(私を泣かせた数少ない無声映画)、ヴィットリオ・デ・シーカ「子供たちは見ている」、是枝裕和「誰も知らない」、ガブリエーレ・サルヴァトーレス「ぼくは怖くない」など、子供を通してより複雑な問題に焦点を当てた映画に触発されました。

3.本作の制作動機、インスピレーションは何でしたか?

2018年に母方の祖母が亡くなり私に少しのお金を遺してくれました。父方の祖母はその数年前に亡くなりました。私が受け取ったお金はそれほど多くはありませんでしたが、私は映画製作者ですし、特に彼女たちは性格がまったく違ったので、それらを覚えておくためにも、すべて(そしてそれ以上!)を映画制作に費やすことにしました。母方の祖母は優しくて温かかった。彼女は西洋文化の影響が強い海峡中国人(ペランカン)で裕福な家庭の出身。父方の祖母は中国系の強い背景を持っていて、かなり元気で頭が強い人でした。母方の祖母は、子供時代のことを話し写真を見せてくれました。父方の祖母はしばしば不機嫌であまり親しみを感じませんでした。彼女は泉漳語(中国語の方言)でしか話せませんが、彼女が亡くなる少し前のある朝、元気に日本語の歌を歌って私を驚かせました。これらのことが、私の国がイギリス人と日本人によって占領されていた時代の彼女たちの過去を想像するのに役立ちました。

4.本作ではどんな困難に直面し、それをどう乗り越えましたか?

時代劇を作ったのはこれが初めて(そしておそらく最後!)でした。時代劇を作ったことがある友人に聞くと、その予算では無理だと言われました。映画を過去のように見せたり感じさせたりするのは本当に難しいです!当初はシンガポールで撮影する予定でしたが、シンガポールの風景は常に更新されているので、ほとんどの場所が「新しく」見えます。別な友人のアドバイスで最終的にマレーシアで撮ることに決めました。初めてで不安でしたが、マレーシアの映画製作者を何人か知っていて、彼らを通して素晴らしいラインプロデューサーを見つけました。それでも撮影は簡単ではありませんでした。必要な3つのロケーションのうち2つを見つけることができましたが、最後の1つ(英国の植民地時代の家)を確保するのが非常に困難でした。ロケーションマネージャーの粘り強さのおかげで、ようやく理想に十分近い場所を見つけることができました。また撮影した12月に白人の子供たちのキャストを見つけるのも大変でした。多くの白人家族がクリスマス休暇のために海外の自宅に戻るためにマレーシアを離れました。私のキャスティングマネージャーは白人の子供を見つけるために東奔西走してくれました。もう1つの大きな課題は、「通りゃんせ」を正しく歌う子と、間違って歌う子の2人の才能でした。私のラインプロデューサーに日本語の先生である湊美奈子さんがいて、撮影中に女の子が歌うのを助けてくれたのは幸運でした。また、彼女のチームには献身的なアートディレクターもいて、私の撮りたい世界観をうまく再現することができました。

5.本映画祭への応募動機と選出された心境は?

数年前、雪に覆われた夜、家々に美しい映画の看板が並んでいる夕張の美しい写真を見て心を掴まれました。私はゆうばり映画祭について、その独立した精神と映画への大きな愛情について知り、いつか参加できることを望みました!ファンタジーの要素が込められた前回の短編映画「メロディ」を、映画祭の目を引くことを期待して提出しましたが、落選しがっかりしました。私は今回選ばれることを密かに望んでいました、そして実際に選ばれたことを知って、とても嬉しく光栄に思いました。

6.ご覧になる皆さんへメッセージを

この映画によって、私は2つのことを共有し表現することができました。1つは西洋文化では馴染みのない(私の祖母に対する)孝行の考えであり、もう1つは時代や統治者が変わっても今だに庶民が傷跡や結果を背負っているということです。